in the wilderness

荒れ野にて言葉を探す。北へ。南へ。

幸福な酩酊


 窮屈に抱えた特別な記憶を、過日の膨大な瓦礫の中から探り出すとき。鈍い眠気のような酩酊がゆっくりと体内を巡り、やがてそれは、一枚の皮膚の下から粟立つように引き抜かれる感覚を伴って、ぞくりとした一瞬の震えへ取って変わる。どこか雨を仕舞った後の雲間から差す厳かな光の筋に似て、しかしまた、儚くも望み破れ、苦く倦み疲れた世捨て人の背中に見る、仄暗い郷愁とも似ている、と想う。若い頃の忘れ難い記憶に、或る愚かしくも甘やかなひとつの風景があることを、こっそり白状したい。それはテキサス州オースティンからヒューストンを経由し、ルイジアナ州ニューオリンズへと向かう旅の途上。長距離バスの車窓に見た、夢とも現実ともつかない、ひどく幻想的な光景なのだった。
 車中の緩慢な居眠りから、ふと目覚めた旅人の目前へ広がっていたのは、実に蜂蜜色の光に包まれ、眩く煌きながら縹緲と続く、やはり蜂蜜色した海原の水面 (みなも) であり、その中心に真っ直ぐ伸びている筈の道路の先は、とろりとした光の繭の中へ次第に消滅し、我々を乗せたバスがあたかも、水面の上を滑り進みながら吸い込まれてゆくという、まさに現実離れした錯覚を巻き込んで、万物を包含するよな完璧の美しさで圧倒したのだ。通路を隔てて眠る友を起こすことも忘れ、暫し言葉も思考も放棄してひれ伏し、ただ、あの酩酊の恍惚に震えるしか術がなかった。これは眠りの誘った夢なのか。それとも現実の気紛れによる幸運なのか。いったい、道中の何処で遭遇したのか。更に不思議なことには、それからトランジットで途中下車したヒューストンまで。記憶のディテイルの周辺を失っていることである。
 ヒューストンの街に、夜を白々と侵す無表情なビル群の電光を見上げながら、ゆったりとした速度でバスディーポへ到着したバスは、忙しない笛に導かれた後、溜息のよな排気を最後に長々と吐き出して、この日の役割から開放された。降りて程無く構内の長い列へと加わり、やがてでっぷりとした黒人の女性職員から、ぞんざいな扱いを経て二人分のチケットを受け取るまでの間。わたしはただ、延々とあの信じ難い光景ばかりを頭の中にこねくり回し、バックパックを担いで外へ飛び出すや、既に草臥れたキャメルの箱を握り潰さんばかりの調子で友に語ったのだった。しかし「そんなに大きな海なんて、ここまでの道中の何処に在るの」大方夢でも見ていたのだろう、と一笑され、いや、そんな筈はない。本当に見たのだ、と端から見れば間抜けな力説に興じる一方で、ようやくありついた一服と冷たい飲料水とに人心地つくに連れ、段々と、傍らの友の言葉が正しいよな気もしてくるのだった。後に二度。同じ道をニューオリンズヘ向かう機会が在ったのだけれど、何故か決まって訪れる猛烈な眠気に抗うことができず、何れのときにも、あの場所を確かめることはかなわなかった。
 追憶のつづれ織りの幾多の糸の中へ、巧妙に伏された或る特別の感覚を探る作業は、極めて慎重に行われる必要がある。この手の記憶を追うのは、常に均衡の不確かな危うさを伴っているのだ。決して急かず焦らず。追憶との間に結ばれた密約の僅かな手懸りだけを頼りに、一本一本の糸を手繰り解きながら。でなければ、いかなる熱望と憧憬を以ってしても、永遠に探り出すことができないかも知れない。ほんのひとつのボタンの掛け違えが、望むものをどんどん引き離してゆく、という恐れ。苦さを甘美たらしめる拠所の喪失と、背中合わせにあることの、恐れ。
 実在と不在。それらはつまり ”此岸” と ”彼岸” なのであり、この二つの互いに相反する世界が、その実、表裏の双子なのだ、ということを肝に銘じておかねばなるまい。仮にあの場所が実在し、再び訪れる機会に恵まれ、あのあまりに忘れ難い傷痕を、この手で触れ確かめたとして。果たしてわたしはそこで、遂に積年の呪縛から解放され、安らかな安堵に満ち足りた心地となるのだろうか。いや、恐らくそうではないだろう。確かに「ああ、やっぱりあったんじゃないか。あれは夢じゃなかったのだ」と感慨に耽ることはできるかも知れない。しかし、たとえそれが記憶と違わぬものであったとしても、かつて目前に現れた光景の完璧さには、哀しくも及ばないのだ。或いは、実際の風景は案外ありふれた無味乾燥なもので、そこへ寝惚けた延長の、半分まどろんだ脳味噌の作り出した罪作りなフィルタが介在し、随分と大袈裟に色づけされた光景を見せていたのだとすれば、失望の落胆のみならず、追想の悦楽さえ赦されないという、あまりにも切ない代償をも払わねばならない。いずれにせよ、在りし日の絶対的な体験は、永久に失われてしまうに違いないだろう。
 ならばむしろ。あれは決して実在しない、わたしの白昼夢の中だけに存在し得た場所であり、そうであるがために、どんなに探ろうとも見つけ出すことがかなわぬ場所であるべきなのかも知れない。探索の放浪が永遠に終わることはなくとも、しかしながらそれは同時に、蜂蜜色に煌く光の繭の幸福な酩酊を赦された、永遠に効力を失わない甘やかな約束でもあるからだ。この、実に矛盾に満ちたつづれ織りの探索を繰り返すたび、わたしは苦く打ちのめされもし、また、幸福な酩酊の抗し難い誘惑に駆られもするのである。■

無花果


 道の途中のと或る家に犬が居り、また、猫も居る。猫は知らぬが、犬の名はコロと云う。何故犬の名を知ったかと云えば、小屋の正面に、油性のマジックでその様に書いてあるからである。何の変わったところ無い。赤鼻の雑種で、黄色い毛をして居る。其処の家では元々猫ばかりを可愛がって飼って居て、毎年わらわらと子が生まれる筈だのに、気付くといつも母猫一匹きりとなって、是が同じ母猫でないのは柄を見て分かるのだが、代々雌の猫を一匹選んで残すなどして飼い続けて居るのだろか。一体どうした風にして居るのやら、良くは知らない。
 コロの来たのは丁度、またぞろ仔猫が生まれた、五年程前の夏の頃であったか。月に一度帰ってくる末息子とおぼしきのが、雌の仔犬を一匹連れて来て、犬小屋まで運んで来て、そうしてそのまま置いていってしまった。この家の主は婆さんである。他所様の家のことだから、こちらがどうこう測ると云うのも不躾かとは想うが、恐らくは、末息子の住まいなどの事情で、仔犬を飼うつもりが飼えなくなり、思案の末、仕方無く実家に連れて来た。まぁそんなところなのではないかと考える。
 そもそも婆さんは滅法の猫好きであるから、すると当然、コロはなおざりである。仔犬の頃は、可愛さ余った登下校の小学生らに散々といじりまわされて、始終ちやほやされても居たのだが、なにぶん子供は飽きっぽい。その内大した見向きもされなくなって、コロは見る見るやさぐれた。売れぬ女郎がお茶を引いて居るよな倦怠の佇まいに、己が暮らしぶりはさて置いても、何やらうら寂しき心持ちを覚え、以来私はここを通る度、何故だかコロへ声を掛けずに居られなくなってしまったのである。
 コロの小屋と云うのが、また気の毒なものだ。最初は門の入り口の脇に在ったのが、今は簡易物置の置かれた庭の片隅に追い遣られて、じめと湿った無花果の木の下に在る。植えどころも土も宜しくないのか、無花果はずんぐりと背低く、足元の小屋へ不恰好な掌で覆うよにして陰を差す。ろくろく散歩へも連れに出しては貰えぬから、犬は犬なり鬱々となるのだろう。水捌けのしない地面に無闇矢鱈と穴を掘り、其処ら辺に雨ざらしの瀬戸の手水鉢だの、婆さんのサンダルだのが種々打ち捨てられて転がって、見るからに始末の悪いこととなって居る。
 それだけでも憐れを誘うに充分であるのだが、更なる憐れであったのは、一度、コロが子を産んだときであった。毛艶失せ、すっかり倦み疲れてやさぐれた顔つきで、見るからにうらぶれた様であったコロが、子を生み育てるにしたがって、実に活き活きと生気に溢れてくるのは、日々心痛めつつ経緯を見守って来た者にとって、如何に晴れ晴れと明るい安堵をもたらしたことか。
「良かったなあ。良かったなあ、コロやい」
 乳をやり、毛を繕ってやり、甘噛みしてじゃれ付く子らを、母親の器でうっとりと眺めて居る。やれやれ。やっとお前にも仕合せがやって来た。己の子の如く、しみじみ喜んでやって居た矢先である。或る日通り掛かると、仔犬らの姿は皆丸々消えて居た。コロはすっかり気の狂ったよになって、鎖を絡ませ、同じ所をぐるぐると廻るばかりである。聞けば婆さんが、方々他所の家にやったのらしい。
「どうしたものかねぇ、コロよ・・・・・」
 遥々と遠く遣る瀬無く、私は只、この憐れな雌犬をじいと見るばかりであった。



 あれから幾年か経ち、私は変わらずここを通って居る。猫はまた子を生み、コロも変わらず倦み疲れて居る。
「おい、コロ。今日はまた妙な天気だね」
 声を掛ければ、ぬうと柵の間から長い鼻面を突き出して、私はそれを撫でてやる。この犬は、すっかり諦めてしまった風である。観念して諦めて、倦み疲れては居るが、それですっかり、穏やかとなってしまった風である。
 幸い、日の差さぬよになって居た無花果の後ろが、さっぱりと更地となったお蔭で、じめじめとしたコロの小屋にも、幾らかの日の施しが出来たらしい。無花果の葉から薄くこぼれた日だまりに、すうと静かな顔して眠って居る。■